札幌宅商株式会社

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2019年6月8日

歴史へGO17 スタッフブログ 深山昇太

深山昇太

弊社HPをご覧頂きましてありがとうございます。

札幌宅商㈱流通2課 深山(みやま)と申します。

大変恐縮ですが再び歴史のお話しをさせて頂ければと思います。

歴史にはロマンがあります。

今回の人物は

 

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【嘉納治五郎】

 

日本の柔道家で「日本体育の父」とも言われております。

彼の略歴を簡単にご紹介いたします。

明治・大正期の教育家,講道館柔道の創始者,日本の初代IOC(国際オリンピック委員会)委員,日本体育協会の創設者。摂津(兵庫県)御影町の酒造家嘉納治郎作の三男として生まれる。幼名伸之助。1875年東京帝国大学の前身,開成学校に入学,勉学のかたわら福田八之助について天神真楊流,飯久保恒年について起倒流の柔術を学ぶ。82年卒業し,学習院英語教師となるかたわら,下谷稲荷町の永昌寺の書院を借り,塾を開いて講道館と名付け,塾生に柔術を教える。1886年以後学習院教頭,文部省参事官,東京高等師範学校校長などを歴任。1911年大日本体育協会(→日本体育協会)を創立,その初代会長に就任。1909年国際オリンピック委員会 IOC委員として日本のオリンピック競技大会参加に尽力し,1912年第5回ストックホルム・オリンピック競技大会に選手 2人を率い初参加。1938年第12回東京大会(第2次世界大戦のため中止)招致のため,IOCカイロ総会に出席,誘致に成功しての帰途,太平洋上『氷川丸』船中で肺炎により死亡。生前の功績をたたえ,勲一等旭日大綬章が授与された。

 

それまで「柔術」と呼ばれていた武術を整理・再編し、新たに「柔道」と名付けて普及に励みました。現在、嘉納治五郎が柔道の父と呼ばれていますが、嘉納治五郎は柔道だけではなく、日本のスポーツや教育分野そのものに大きな足跡を残した「日本体育の父」と呼ばれる人物なのです。

 

そんな彼の残した言葉で

 

勝って、勝ちに傲ることなく、 負けて、負けに屈することなく、 安きにありて、油断することなく、 危うきにありて、恐れることもなく、 ただ、ただ、一筋の道を、踏んでゆけ

 

勝負事に関して「強さ」の答えのような気がします。

 

日本の歴史を語るには欠かすことの出来ない人物です。 長くなりまして大変失礼致しました。

 

今後も札幌宅商をよろしくお願いいたします。

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